グローバリゼーション

記事数:(3)

車の生産

車の現地生産:世界への広がり

日本の自動車作り手が世界に羽ばたく中で、現地で車を作るというやり方は、とても大切な作戦となりました。1970年代以降、これから発展していく国々では、自国の産業を育て、外貨が出ていくのを防ぐため、自動車作り手に現地で車を作るよう促す動きがありました。 具体的に言うと、完成した車を輸出するだけでなく、部品を現地で手に入れ、組み立てを行うことで、国内の様々な産業にも良い影響を与え、仕事の場を作ることを目指していました。例えば、現地でタイヤやシートを作る会社が育ったり、組み立て工場で働く人が増えたりするといった効果です。さらに、関税といった貿易の壁を避ける効果も期待されていました。海外から完成した車を輸入するよりも、現地で部品を調達して組み立てた方が、税金が安く済む場合もあったのです。 これらの国々にとって、自動車産業は国の経済を引っ張っていく大切な産業と考えられていました。自動車作りは多くの部品や材料を必要とするため、様々な産業を巻き込み、国全体を豊かにする力があると期待されていたのです。現地で車を作ることは、国の経済を強くするだけでなく、国の誇りを高めるという意味もありました。自分たちの国で高度な技術を使った車を作れるようになることは、国民にとって大きな喜びであり、国の力を見せつける象徴でもあったのです。そのため、各国は自動車作り手を様々な方法で支援し、現地での生産を後押ししました。税金を安くしたり、工場を作るための土地を用意したり、技術者を育てるための学校を作ったりと、様々な政策が取られました。
車の生産

世界を駆ける車:自動車産業の国際化

一千九百七十年代、二度の世界的な石油の値上がりが大きな波紋を呼びました。石油の値段が急激に上がったことで、燃費性能の良い車への需要が世界中で高まりました。このような状況下、燃費が良く、質の高い日本車は世界の注目を集め、輸出台数が大きく伸びました。特に、アメリカでは、日本車の燃費の良さが高く評価され、多くの人々が日本車を購入するようになりました。 日本車の燃費性能は、当時のアメリカの車と比べて非常に優れていました。アメリカの車は、大きな排気量のエンジンを搭載したものが多く、燃費はあまり良くありませんでした。それに比べて、日本車は小さな排気量のエンジンを搭載し、軽量化にも力を入れていました。そのため、同じ量の石油でも、日本車の方が長い距離を走ることができました。このことが、石油価格の高騰期に大きなメリットとなりました。 日本車の輸出が急増したことで、アメリカとの間で貿易摩擦が生じました。アメリカの自動車メーカーは、日本車の輸入制限を求めるようになり、日米間の経済関係は緊迫しました。しかし、日本車は経済的な魅力だけでなく、高い信頼性と品質の良さも兼ね備えていました。故障が少なく、長く使える車として、世界中の人々から信頼を得ていたのです。 このような背景から、日本車は世界の自動車市場での競争力を急速に高め、世界的な自動車メーカーとしての地位を確立していきました。石油危機をきっかけに、日本車は世界市場での存在感を示し、その後の日本の自動車産業の発展にとって重要な転換点となりました。燃費性能の追求、高い信頼性と品質へのこだわりが、世界的な成功の礎となったのです。
車の開発

世界の道を駆ける:海外開発拠点の役割

車は、ただ人を運ぶだけの道具ではありません。それぞれの国や地域で、文化や暮らしに深く結びついています。日本で考え出された車が、そのまま他の国で人気になるとは限りません。道路の状態、気候、人々の好み、法や規則まで、国によって大きく違います。 例えば、日本の道路は世界的に見ても変わっています。狭い道や曲がりくねった道が多い一方、高速道路も発達しています。このような環境で開発された車は、広々とした土地にまっすぐな道が続く国では、必ずしも良いとは言えません。また、高温多湿な東南アジアと、寒い北欧では、求められる車の性能も大きく違ってきます。 それぞれの地域に合った車を作るためには、現地の人の必要とするものを深く理解し、その環境に合わせた開発を行う必要があります。暑い国では、冷房の効きが良く、故障しにくい丈夫なエンジンが求められます。寒い国では、雪道や凍結した路面でも安全に走れる性能が必要です。さらに、国によって車の大きさやデザインの好み、安全基準も違います。 そのため、車を作る会社は世界各地に開発の拠点を置き、地域に密着した車作りを進めています。現地の技術者やデザイナーを取り入れることで、その土地の文化や習慣、細かいニーズを理解し、より良い車を作ることができるのです。さらに、現地で開発を行うことで、部品の調達や生産のコストを抑え、競争力を高める効果も期待できます。このように、海外に開発拠点を置くことは、それぞれの地域で愛される車を作る上で、非常に重要な戦略なのです。